花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ
2020/03/24 (火)
この言葉
この季節
いつも思い出します。
花に嵐が来たら散ってしまいます。
いまあるものはどうなるかなんてわからないんです。
人間は、必ず死んでしまうので、
どうあがいても
さよならが、人の一生の最後に横たわっているのはまぎれもない事実なわけです。
でも。
前半の詩の訳である
「この盃を受けておくれ、どうぞなみなみ注がせておくれ」
並べてみると、
「この盃を受けておくれ、どうぞなみなみ注がせておくれ」
「花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ」
後半部分だけでは見えてこなかった部分が浮き彫りになってきませんか??
僕は
さよならが必ずあるのは避けようがないけれども
その過程が
結末よりもずっとずっと大切なんだと思っています。
出会っても必ず別れが来る。
受け入れるか
目をそらすかしかできないんです
僕たちは。
だから訳の後半だけではあまりに寂しい。
前半部分がそこに重なると
誰かが誰かにお酒を注いでいるという風景が浮き上がってきます。
人間は最後は別れてしまうのだから
せめて今この瞬間は、大切にさせてくれよ!
盃にいっぱいにお酒を注がせてくれよ!
という暖かい意味になってきます。
恋人もいつか別れるかもしれない。
飼っていた犬がいなくなるかもしれない。
学校もいつかは卒業がある。
終わりが常にあるからこそ
いま一緒にいられる
何かを続けられるということが
本当に幸せだということに
失ってから気づけるんです。
人と人は分かり合えないのが当たり前だけれど(ここを忘れるとひどく傷つくよ!)
分かり合おうとする気持ちが嬉しいし、
はたから見ていて美しいのは変わらない。
ここしばらくは
この
さよならだけが人生だ
心に刻みながら過ごしていこうと思います。
ほいじゃったらの。